立憲民主党公認候補予定 篠田奈保子の公式ホームページ
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立憲民主党公認候補予定 篠田奈保子の公式ホームページ/Official site
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プロフィール
 
PROFILE
4児の母兼弁護士(51期) 6人姉弟、10人の大家族育ち。斜里郡清里町出身、北大卒。札幌・帯広・東京・シアトルなど転々し、釧路市に移住し12年目。週末は森の中。大人のピアノ5年目、ロシア語学習中!立憲民主党北海道第7区総支部支部長。政治の世界にチャレンジ!社会を変える。
なぜ私が政治の世界に挑戦するのか
~47年間の私の軌跡~
私の中高生時代~典型的な優等生~
1972年(昭和47年)2月、斜里郡清里町生まれ。
6人姉弟の二女として自営業を営む両親の元に生まれました。
店頭に立ったり、配達のお手伝いをしたりと、家業の手伝いと祖父母を含めた10人分の家族の食事と弟達の育児に日々奔走する少女でした。
小学校時代は,夏はマラソン,冬はスピードスケートをしていました。
 
清里中学校では,軟式テニス部に所属し,生徒会書記長を務めました。
リーダシップを発揮する典型的な優等生だった感じでしょうか。
 
高校は地元の道立清里高等高校に進学しました。
大学進学を目指して,一年生の頃から先生から個別指導を受けるなどして勉強をしました。
また軟式テニス部に所属し,生徒会の副会長も務めました。
2年間の浪人生活~挫折って,振り返ると貴重なもので~
目指す北大に合格できず,2年の浪人生活を過ごしました。
この浪人生活中に,祖母の介護をしたり,新潮文庫の100冊読破に挑戦したりと,挫折の繰り返しの中で多くのことを学びました。
私の大学生活~本当に勉強しかしていません~
平成4年,北大に入学しました。
法学部を選んだのは,家族や社会の成り立ちに興味があったこと,弁護士になりたい気持ちを持っていたからでした。
大学では,本当に勉強しかしませんでしたが,思い切り好きな勉強が出来ることが本当に楽しかったのです。
 
平成8年に司法試験に合格,翌年に大学を卒業しました。
2回目のチャレンジでの合格でした。短期に合格出来たのは,「これ以上親に負担をかけるわけにはいかん!弟達の学費を稼がねばならん!!」という背水の陣だったからと思います。
司法試験には合格しましたが・・・~私,弁護士で良かったのかしら~
しかし,2年の司法修習中に,目の前で起こるシビアな事柄を前にして,弁護士としての適性に悩む日々が続きました。
札幌の法律事務所に就職しましたが,当時母が末期のガンに罹患し,私自身が離婚を経験するなどして,精神的に辛い日々が続き,半年ほど弁護士を休業することを選択しました。
駆け出しの弁護士時代~周囲に助けらながら~
平成12年,心機一転,帯広市の斉藤道俊法律事務所に所属することになりました。
私のメンタルの問題,家族の問題なども理解してくれ受け入れて頂きました。
釧路弁護士会23人目の弁護士となりました。すっかり自信をなくしていた私ですが,出来ることから頑張ろうと,たくさんの国選刑事弁護事件や市民の方々の困り事に親身に寄り添う弁護士として頑張りました。
釧路弁護士会の弁護士の諸先輩方にはご迷惑をかけつ,本当にお世話になった日々でした。
 
平成14年5月に長男を出産しました。
産後1ヶ月後に闘病中だった母に長男を会わせることができました。
しかし,その2週間後に母が死去しました。私が無事に出産することを待ってくれていたのだと思います。
母の人生は家族に尽くすだけのような人生で終わってしまったように感じました。
女性の人生の有り様について悩み続けていましたが,母の死去により,私は,「やりたいことは,後悔しないように今すぐやる!」と新たな人生訓を得ました。
東京や海外での育児生活~両立に悩む日々~
長男出産後,育児休業に入り,配偶者の転勤先である東京での育児生活が始まりました。
頼る者のいない「ワンオペ育児」の閉塞感や弁護士を休業してしまった「焦り」を感じつつも,翌年に長女,その後に二男を出産しました。
配偶者が法務省の在外研究として留学したため,1年間はシアトルで育児生活を過ごしました。
ママ弁護士として~やるっきゃない!でも,社会がヘン?~
平成18年,3人の子どもを抱えての再就職にチャレンジしました。
就職先は即決まったものの,保育園が決まりませんでした。
待機児童問題の当事者となりました。
2箇所の保育所を往復する日々,そして長時間労働に従事する配偶者(当時は法務省入国管理局で国会対応をしていました。),仕事と育児の両立をしようとすればするほど壁に当たる,そんな状況の中で,社会について様々に疑問を抱くようになりました。
当時勤務していたのは,東京弁護士会が設立した公設法律事務所でした。
地域の行政と連携したり,都会の中で,弁護士にアクセスすることが困難な方々の問題に対応しておりました。
また,保育所での死亡事故の訴訟も担当しました。
ますます社会の構造的な問題に関心を持つようになりました。
再び釧路へ~やっぱり道東がいちばん!~
平成20年,3人の子どもを連れて,釧路への単身赴任を決意しました。
法テラス釧路の常勤弁護士となりました。
東京での仕事と育児の両立は困難ばかりでした。
働きやすく,育児しやすい環境を求めて,そして一度所属していた釧路弁護士会や道東への愛着もあり,決意をしました。
 
平成23年,法テラスの3年の勤務を終えて,釧路市内に独立開業しました。
「はるとり法律事務所」としたのは,「厳しい冬に耐え,春を取りに行く」というイメージとなによりも春採湖の自然が大好きだったからでした。
独立して後,配偶者が検察庁を退職し,弁護士として合流しました。
3年の別居生活が解消されました(その後,42歳で第4子となる二女を出産しました。)。
全ての弁護士が断った事件でも~性的被害者に寄り添う~
独立開業して,最初に受任した事件が「幼少時の性的虐待によるPTSD損害賠償訴訟」でした。
第一審で敗訴したものの,控訴審で逆転勝訴することができました。
どの弁護士も無理だと断った事件において,そして,多くの性的被害者が時効の壁の前で苦しんでいる中で,新たな判例を獲得できたことが,なによりも嬉しく思いました。
そして,政治の世界への挑戦
独立開業して以降,釧路市の地方創生の委員,男女平等の委員,障がい者関連の委員,多くの委員を拝命し,行政のためにもさまざまに意見をさせて頂きました。
日々対応する相談は,労働相談,離婚相談,中小企業者からの相談,生活困窮者や多重債務者からの相談,各種虐待に関する相談まで,本当に様々です。
しかしながら,20年程の弁護士生活を通じて,社会の中で孤立者が増え,貧困の問題が深刻化し,精神的にも疲弊している方々も増えており,社会自体が間違った方向に進んでおり,このままでは,より市民生活が困難になると感じるようになりました。
個別の方々の相談に応じ,解決することも大切ですが,より大きな視点で社会構造を変えなければならず,そのためには政治を変えるしかない!という決意に至りました。
私が望む社会
私が望む社会は,だれもが1日8時間働けば,暮らして行ける社会です。
それが難しい方には,社会保障をしっかり行う社会です。
そして,老後の心配もない社会です。子どもを持ちたいと思う人は子どもが持つことが出来る社会です。
そして平和な社会です。そんな社会にしたいと思います
私の政策は,私の47年の経験や知識を基礎とし,私が望む社会を実現するために必要不可欠な政策です。
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